結界を 前に怯んで 草紅葉
日頃の行いを正してどうどうとなむなむできるようにしなさいという句である。
なむなむは神社でなくお寺だぞ。
4時半だ、ひとまず拝んでさあ走ろう。
なむなむ。
1分で作ったわりにはよくできた句である。
脳細胞の活性化が目的であるので、句のできはどーでもいいといえばいいのであるが、いい句ができるとこれで結構うれしいもんである。
もちろんこの句の場合は草紅葉が晩秋の季語である。
神社を取り囲む山々の高みにいち早く紅葉を見せるのが草紅葉(くさもみじ)である。
まあ、人間はどうやってもこうやっても清廉潔白に生きることはできないのである。
自分では悪いこととわかっていても、日々その悪いことを重ねて、神の規範からすればある意味極悪人がうろうろその辺を歩いてるわけである。
その負い目があるから神の前に立つとなんとなく気おくれしてしまうのであるが、その気おくれをなくすためには悪行を相殺する善行を日々行えばいいわけである。
善行とは毎日神仏に祈りを捧げることではなく、神社仏閣あるいは神官僧侶に寄進寄付をしたりすることでもないのである。
善行とは他人のために良いことをするということである。
やなこった。
なんて言ってるとさらに神の前に立つと気おくれして怯むことになるのである。
わかっちゃいるけどやめられないことだらけであるが、やらないよりマシの善行を日々行おうではありませんか。
お前がやれ?
やなこった。
・象気功
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