雨落ちる もちの実落ちる 我走る
ああ、もう冬になるのねと涙を浮かべて走り去るあたしを見事に韻を踏んで表現した句である。
笑いは無くてもさあ走ろう。
この句の場合、もちの実が晩秋の季語である。
象形流俳句道のもっとーとしては笑える俳句ということがあるわけであるが、まあ、なにしろ1分で作る俳句ということであるから、そんなに爆笑とはいかないものもできるのは当然である。
エバることでもないがいちおう言っとくわけである。
もちろん俳句に笑いをもとめてない向きもあるので、これはこれで評価は分かれるわけであるが、1分で作る俳句の良し悪し云々はそれこそ笑止千万であるかもしれないのである。
写真は通りがかりのもちの木のように見えるが、実は我が100万坪の庭園の境目にある木である。
もちろん100万坪の庭園というのは笑わせようというジョークの一つであると言っとかないと、ときどき坪数が増えたり減ったりして驚く読者もいるのでいちおう言っとくのである。
それはともかく我が100万坪の庭園には秋に植木屋さんが来て夏の間に伸びた枝をチョキチョキと刈り込むわけである。
庭手入れや庭木刈るは秋の季語となっているわけであるが、もちの実は晩秋の季語である。
他に松手入れという晩秋の季語もあるが、我が100万坪の庭園には残念ながら写真に収めるような松はないのでもちの木になったわけである。
まあ、昨今はチョキチョキでなくブオーンと電動バリカンで刈り込むわけであるが、以前、植木屋さんが小雨の降る日にこのもちの木の手入れをしていて梯子から落ちて頭を打って救急車で運ばれて、次の年から違う植木屋さんになったのである。
雨の日は梯子に登ってはいけないというのは造園業の鉄則であるらしいが、そのときの植木屋さんは、まあ、長年の慣れということもあってか、守らなかったわけである。
そんな思い出のあるもちの木を横に見てランニングを始めたのであるが、小雨が降ってきてすぐ撤収したのである。
雨の降る日は走ってはいけないというのはランニングマニアの鉄則である。
風邪ひいちゃうからである。
でも、その鉄則を無視しても走らずにいられないマニアが多々おられるのはご存じの通りである。
習慣になるととにかく毎日走らないと居ても立ってもいられなくなるのである。
なんなんでしょうかこれは。
・象気功
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